2018年1月24日。午後。
アンカラの近郊にある遺跡、カマン・カレホユック遺跡に向かう。
ここは、日本の調査隊が発掘している遺跡だと聞いていたが、行ってみると今までの海外発掘隊とは違う試みをしている遺跡だった。
遺跡は雪の中に埋もれていた。
カマン・カレホユック遺跡には、博物館があって展示品を見ることができる。
日本の発掘隊の方が、発掘品や博物館について、詳しく説明してくれた。
写っているのが、遺跡の形をした博物館だ。
遺跡に入るみたい。凝った作り。
カマン・カレホユックは、カマン村にあるのでこの名前になったそうだ。
発掘は地元の人々と協力して行われ、発掘品はここで展示される。
普通の海外発掘隊は、発掘品を発掘した国に置かず、自国に持ち帰るのが普通だそうで、そういう意味でも珍しい試みだという。
カマン・カレホユックの博物館は日本のODA(政府開発援助)で建設された。
ODAは3年ごとの更新があり、カマン・カレホユックのように、ここまで長く続いているODAは稀だとのこと。
最近では、近くにあるヤッス・ホユック遺跡、ビュクリュカレ遺跡の発掘も行っているという。
日本の円形古墳のような形をしたカマン・カレホユックは、今まで歴史の常識と思われてきた事実を、次々と覆しているのだという。
歴史の記録がない「暗黒時代」と言われている時代を解き明かす可能性もあり、ぜひとも発掘を続けてほしい遺跡だと感じた。
さらに、地元の子供たちとの交流も行っており、発掘の勉強会もしているという。
こういった試みが、世界のあちこちで行われるといいなと感じた。
ちなみに、遺跡からは鹿の骨も発掘され、鹿がいたことが示されている。
鹿は森にいる。
今のトルコに山はあるが森はほとんどない。カマン・カレホユック周辺には特に見当たらない。
なぜか。
「鉄器を作るために、木を全部切ってしまったからです。鉄器時代の環境破壊が、今も影響を残しているということです」
破壊した環境は戻らない……いい実例だと思う。
「海外の博物館に行くと、日本はこの(海外でこんな文明の)ころ縄文時代だとか弥生時代だとか言われますよね。でも長い間その文明が続いたということは、それだけその場所が豊かで、争いがなかったということなんです」
日本の古代文明は、豊さゆえに長く続いた。
やはり、歴史に触れている人の言葉は重みがある。
ここの博物館のロビーには、自動販売機のお土産コーナーがあり、ツアー客に人気だった。
あまりにも人気なので、ガイドさんがポロリと漏らす。
「絨毯も自動販売機なら売れるのかなぁ?」
シンガポールには車の自動販売機もあるようなので、案外うまくいくかもしれない。
陶器はボックス形式の自販機でいけるだろうし、トルコ石も自販機で……なんちゃって。
なお、カマン・カレホユックをはじめとする遺跡に興味のある方は
東京で報告会が開かれるそうなので、3月22日までに概要を見て申し込んでみてください。
解説をしてくれた日本人の発掘隊の方は、わざわざバスまで見送りに来てくれた。
そういえば、入り口にあった石像は本物ですか?と聞くと、本物の発掘品だとのこと。
ウッカリ触ったが大丈夫だっただろうか。
牛ですか。と言ったら、笑顔で「いいえ、ライオンです」とのこと。
ライオン……ですか。いたのねライオン。
帰り際、近くにある、恐らくカマン村から、のんびりしたエザーン(お祈りの時間ですよー、モスクに来てよーと歌うように教える放送。僧侶がやるとのこと)が流れてきた。
カマン・カレホユック遺跡は現在四層まで発掘されており、今年の発掘は春からだとのことだ。
地元の人々と、日本の発掘隊、また新たな発見があることを祈りたい。
(続く)